記述の基体(がらくた)

※基本自分の備忘のために書いています。殴り書きで校正しておりませんのであしからず(というよりいい感じで汲み取ってください)著作権についてはオプトアウトに対応させていただいております。何かに共感された方はご連絡ください。

カテゴリ:人間とは何か > 実存(意識)の構造

やはり人間の生において、何かに熱中するということほどよい生き方はない。なぜかといえば、それは人間存在の本質が「意味」の連続であり、その「意味」の濃度は、如何に確固とした物語を生きているかに依拠するからだ。

では、どうすれば何かに熱中できるか。それは「やりたいこと」問題にも繋がる。つまり、「やりたいこと」がない、あってもすぐ飽きてしまう、という問題だ。

この問題に対して、『メモの魔力』の著者である前田裕二氏が答えを出しており、私もかなり哲学的に考察した上で同意する。その2つは、

1.徹底した自己分析で、どういうとき辛かったとっか、どういうときに嬉しかったとかを掘ると自分がどういう自動機械か分かる。なんで大学受験が辛かったのか、努力が報われなかったのか、周りが馬鹿にしたからか、など掘り下げる。周りが褒めてくれるのが嬉しかった、等。

2.とにかくいろいろな体験をする。出会ったことないものを好きだということはない。クリケットはやったことないから好きだと思わない。とにかく何も考えずにいろいろなものに出会え。

また、幻冬舎の箕輪氏はこれにさらに以下を付け加えている。

3.ちょっとおもしろいと思ったことは思い切ってやれ。死に物狂いでやらないとだめなんだ。つまらなくなる。

私はこれにさらに2つ付け加えたい。

4.若干2と被るが、ロールモデルを探せ!ということ。これは実際探してみつかるものではないが、すごい!と心から身震いするほど尊敬するような人間に感染すると論理などすっとばしてモチベーションが湧いてくる。

5.これは「やりたいこと」探しで迷っている人に多い傾向かもしれないが、あまり別次元のことを期待しないということ。つまり、これからの生は「これまで生きてきた経験の延長線上」ということだ。これまでに例えば種別1から10のタイプの楽しみを経験したことがあれば、これからはそのそれぞれのタイプでの程度の高い楽しみは期待してよいが、タイプ11や12など新たなものがあるとは限らない。この問題は年を取れば取るほどなくなると思うが、いつまでたってもなくならない可能性もある。

以上、みなさん、まだやりたいことを探している場合はこれらをお試しください。

第二言語習得の分野でi +1理論というのがある。自分が7−8割くらい理解できるくらいのインプットをすることで語学力がUPするということ。というか、むしろこれでしかUPしないという理論。

私はこれを概ね信じているが、よく考えるとあらゆる体験や経験においても示唆のある理論だ。

語学で一番楽しいのはたしかにこの状況である。私の経験からしても。
これは経験一般に敷衍できるだろう。

ドワンゴの川上さんがコンテンツは「わかりそうでわからない」のが一番いいといっていた。
また、プロ奢られいやーさんも既知 8 未知2が一番おもしろいと言っている。

そう考えると、われわれ個人個人の経験やもって生まれたもの、それにより作られた今の価値観などはもちろん各々異なっている。

では、本当に面白い経験とは何かといえば、それはカスタマイズしなくてはいけない。

コーチングとは、その人を理解し、i+1を設計してあげる人なのであり、それはダイエットや語学など具体的な目標のためにだけ使うべきものではなく、むしろ善く生きるために必要なものだと思った。

ビジネス界において、リクルートの藤原和博さんの「レアカードにならないと稼げない」という話をしらない人は少ないだろう。以下の動画で見れるし、こちらで講演の全文も読める。



藤原さんによると、100万人に1人の希少性のある人材になれば、大体年収1000万から1億円ぐらいは絶対いくという。そして一つの分野で100万人に1人になるのはオリンピックに出るようなもので非常に過酷な競争であるが、まずは100人に1人を目指し、3つの領域でそれを実現すれば100の3乗で100万人に1人の逸材になるという。

一つの分野で100人で1番になるには、大体1万時間かかるという。これは長いか?短いか?1日3時間やる、365日やったら1000時間。そしたら10年。1日6時間ずつ取り組んだら5年なのだ。

藤原さんの場合、20代で営業とプレゼンで100人に1人になり、
27歳から37歳までマネジメントをやってさらに、100分の1、
そして、
第3の分野として、
「リクルート流の営業プレゼンとリクルート流のマネジメントをまったくリクルート流じゃないところ、ノンプロフィットの世界で試したらどうなるかっていうことに賭けた」
という。

ここで藤原さんの和田中学での実績は述べないが、この第3領域でも成功し、100万人に1人の人材になった。

今日は、この考え方が金を稼ぐというよりも、もっと広く生を充実するためにも非常に重要であることを主張したい。生が充実するとは、ようするに、幸せにいきる、ということとほぼ同じ。ただ、人間の意識状態は常に幸せになることはできないので、全体として「よい」といえるような生を、充実した生を自分は呼んでいる。

なぜ生の充実に、この3つの領域の掛け算が必要なのか。

それは、現代において、「俺がやらなきゃ誰がやる」というような機会がほとんど存在しないという問題がある。現代は自由の時代だ、みんな人に迷惑をかけなければ何をしてもいい。どんな生き方をしてもいいのだ。しかし、その物語が他者に承認されていなければだめで、その承認も、お金を稼げるというくらいまで一般化されなければ物理的にもサバイブできないのだ。

現代は、自由過ぎて、いろいろな生き方がある。情報に敏感な人ほど新たな機会に目を奪われ自分の生き方にコミットできなくなる。

私はけっこう幅広く、ベンチャー界隈の経営者や従業員、いわゆるエリート大企業、中堅の企業、中小企業、マイルドヤンキー、学生など交流しているつもりだが、ある程度「情報が入ってくる人たち」は、自らの進路に疑問を持つ可能性が高い。情報が入ってくるとは、同年代の他者などの自分とは違った生き方についての情報。それが一次的な情報であればあるほど大きい。エリートサラリーパーソンやベンチャー界隈の人は人と会うことが多いのでそういう傾向にある人が多い。逆にマイルドヤンキーやニートなどは、ある種情報が限られており、自分から新しい環境へも行こうとしないので、今の世界への臨場感が強い。要は世界観が凝り固まっており善悪の基準が明確。あとはその世界で頑張るか否かだけが問題となる。

自分の経験について述べる。

自分が今まで生きてきて幼い頃から変わってないエートス(行動規範、心の習慣)は、自分がやらなくても誰かがやると思えることは、やる気にならない、ということ。同時に、誰でもあると思うが、何か世の中を良くしたいとか、あっと言わせたいという欲望もある。現代においては、誰しもがこの2つのベクトルの間で揺れ動いているのではないか。ある程度、こうすればこうなるという場所で働かないと金を稼げない。一方で誰でもできるならなんか自分としては身が入らない、というのは近代以降の根本的な問題であろう。

そこで、
3つの領域の掛け算の経験が重要となる。これだけ経験を積むことで、初めて「俺がやらなきゃ誰がやる」という何かへの情熱が生まれるのであるから。現代において様々な情報の中でなにかにコミットするのは難しい。だから実体験で自らの経験を積み、その中で確固とした方向性を強めていくのがよい。もちろん、人間生きていれば誰しも何かしらの経験を積むので、30くらいになったら大体方向性を見出すかもしれない。でもそれがあまりにも現代資本主義社会のルールと異なることであればサバイブ自体も難しくなる。それゆえ、藤原さんのいうような戦略はよいし、今述べたように実存的な観点でも重要だ。

人は物語が安定していないと生が充実しない。安定しない。われわれはあらゆるものを自分の物語に沿って認識する。外部情報だけでなく内的な情報もだ。毎度異なる物語を拵えていては認識がばらばらとなり生は充実しない。まずは物語を安定させて、初めてわれわれは山登りを始められる。現代においては山登りすらまだ始めておらずふらふらとさまよっている人も多い。

正直、藤原さんのいう100人の1人というためのスキルの定義の明確度とそのレベルをどう測るかはなかなか難しい。自分は32だが100人の1人のスキルを何か持っているだろうか。それを労働市場的な観点から見ると判断が難しいが、費やした時間からすればインターネットビジネス✕哲学✕中国にはそれなりに時間をかけてきた。まだまだ専門性を持っているとはいえないので、この分野で自己の物語を確立していきたいと思っている。

ツイッターで話題になっていたので、佐渡島 庸平さんの『WE ARE LONELY, BUT NOT ALONE. 〜現代の孤独と持続可能な経済圏としてのコミュニティ〜』 (NewsPicks Book) を拝読した。

著者のプロフィールはこちら。
佐渡島庸平 さどしまようへい
1979年生まれ。東京大学文学部を卒業後、2002年に講談社に入社。週刊モーニング編集部にて、『バガボンド』(井上雄彦)、『ドラゴン桜』(三田紀房)、『働きマン』(安野モヨコ)、『宇宙兄弟』(小山宙哉)、『モダンタイムス』(伊坂幸太郎)、『16歳の教科書』などの編集を担当する。2012年に講談社を退社し、クリエイターのエージェント会社、コルクを創業。著名作家陣とエージェント契約を結び、作品編集、著作権管理、ファンコミュニティ形成・運営などを行う。現在、漫画作品では『オチビサン』『鼻下長紳士回顧録』(安野モヨコ)、『宇宙兄弟』(小山宙哉)『ドラゴン桜2』(三田紀房)等の編集に携わっている。従来の出版流通の形の先にあるインターネット時代のエンターテイメントのモデル構築を目指している。
http://qreators.jp/qreator/sadoshimayouhei



NewsPicks Bookで、他の落合陽一さん、メタップスの佐藤さん、コンサルタントの波頭さんの本が分かりやすく面白かったのでこちらも購入してみた。結果的に、個人としては本書が1番おもしろかった。その理由はおそらく、実存的な視点が重視されているからだと思う。今挙げた他の本は社会的でマクロな視点で書かれているので、自分の生にとっての「意味」という実存的な観点がない。

本書はその点で、自分はどう生きるべきか、というような誰もがもつ喫緊の課題が軸にあるように思えた。それは、

僕自身が幸せになるために、安心と自由の両方が確保されたコミュニティが必要なのだ。67


と言われているように、僕らの生にとっても最も重要な「自らの幸せ」を起点にしており、さらにそれは「安心と自由が確保されたコミュニティに属することで得られる」ということが著者の人間観の前提にある。

こうして本書は、

「自ら参加する、趣味を軸にしたコミュニティを持ったら、人はどのようになるだろう?」4

と、その「安心と自由が確保されたコミュニティ」の可能性を問う。

昔は村社会で社会が個人を包摂していたので安心であったが、自由がなかった。今は自由になったが社会の包摂がなく安心が得られない。

僕は本書の主題であるどうやって「幸せになるために安心と自由が確保されたコミュニティ」を作るか、よりも「どういうときに人は幸せになるか」という人間観のほうに関心があるので、本書の大半、つまりそのようなコミュニティの作り方(特に後半はこの前者の話題が中心であるが)は個人的にはあまり興味を持たなかった。

自由で安心なコミュニティに属することが幸せであることが前提にあると、次のことが言える。

「何を手に入れているか」よりも「何をやっている人か」「なぜやっているか」という理由のほうが重要になってきたのだ 33

つまり一般的な既存の仕事(高給取りのサラリーパーソンや金儲け目的でいろんなことをする中小企業の経営者など)をしていくら高級な嗜好品や資産を持っていても大して承認を得ることはできない。むしろ本当にやりたいことでもないくせに社会に合わせている痛い奴、と徐々にみんなは気づき始めている。既存のやり方であれば安心は得られるが、自由は得られない。

モノがなかった時代は、「何を持っているかの表明」が、その人を表した。モノが溢れ、すべての価値観が許容されていく中で、「個人の価値基準そのもの」に、アイデンティティが宿る時代がやってきたのだ。

これからは、物質の所有やヒエラルキー付き組織への所属ではなく自分は何を欲しいのか、何をいいと思うのか、それをわかりやすく表明している個人への注目が集まっていく。SNSでフォロワーを多く集めているのは、どんな価値観で生きてるかがわかりやすく、ブレない人だ。34

なぜか?なぜブレない価値観を提示できる人が人気を持つのか。

人間の欲望とは言葉で割り切ることはできない。それを何かしらの行為で発散することには原理的な矛盾がある。しかし、それは程度の問題でもある。ある欲望が社会に既にある何か(例えば、マッサージのサービスとか、ライブを観に行く活動とか)で満たされるとは限らない。既存のサービスは既に一般化(多数の人に受け入れられるように)されているので、一回性の生を生きる個人にドンピシャで合うことはない。

しかし、かといって人はその欲望を言葉にしたり、何か行為で解消することができるわけではない。

だから、

大多数の人は自分の欲望を型にはめてしか理解していないともいえる。自分の欲望の形を正しく理解している人はAmazonのように効率的なほうがいい。しかし、もしも、自分が何をしたいかを理解していなければ、コミュニケーションの中で、それを発見する仕組みのほうがいい。91

つまりありきたりの物語(ロールモデル)を追いかけている人にとっては、明確なサービスが求められるが、そうした既存の物語はしっくりこない人は、しっくりくるものを文脈の中で一回性の経験の中で見つけたいのだ。それゆえ、こうしたコミュニケーションの場を提供することが価値を帯びる。最近、カウンセリングやコーチングというような対話型のサービスが増えているのもこのためだろう。

それゆえ、今後求められるもの、別の角度からいうと、やれば人気を博することができるのは自分の欲望をどうにかして言葉にしたり、或いは形にできる人だ。

しかし、1番の価値は欲望を喚起できることだ。僕らはもはや何かを欲しいという欲望をなかなか自発的に持つことができない。コミュニティの中のコミュニケーションによって、欲望がゆるやかに喚起される。そして、非論理的なものが欲しくなる。もはや、僕達は、役立つものだけで心を満たすことができない。139

僕らはもう既存の商品やサービスでは満足できない。そこからこぼれ落ちるものを実現していくことに価値を感じる。そしてそれを実現する方法は2つ。一つは、そういう欲望を形にしている人を追いかける。もう一つは自分が頑張ってそういう言葉にできないものを形にする。

どちらにせよそれは多数の人間がそれらを吟味しあうコミュニティが必要である。安心で自由なコミュニティの中で人は幸せになれるが、そうしたコミュニティを作るには、既存のサービスやコミュニティでは満たされないものを形にして表現し仲間を集めるか、既存のものよりは自分の欲望を体現している人のコミュニティに入っていくか、この2つの道がある。

こうやって読むと、本書は実存的な視点で自分がどう生きるべきか、一つの指針を与えてくれる。

みなさん、ゴール設定しましょう。でっかり夢にコミットしよう。そうすれば日々のいろんなことが些細なことに見えてきて惑わされずにいきいきと大きなゴールに向かっていけます。

ここでは未来の記憶を作り、ゴールに臨場感を持つ方法を苫米地さんの本から紹介します。



この本は私が苫米地さんの本を10冊程度読んだ中では一番体系的にコーチングについて述べられています。

未来 の 記憶 とは 何 かと 言え ば、 ゴール の 世界 の 記憶 です。   そこで、 ゴール を 達成 し た セルフ・イメージ の 記憶 を、 自分 の 過去 の 記憶 を 合成 し て つくり ます。 そう する と、 リアリティー が 増し ます。 もちろん、 少なくとも 物理的 な リアリティー と 同じ ところ までは、 リアリティー が 出 て くる こと に なる の です。   後 は、 それ を 何度 も 繰り返し、 同時に 高い セルフ・エスティーム を 築い て いく こと によって、 未来 の 記憶 の 方 が 目 の 前 の 現在 の 記憶 よりもより 臨場感 の 強い もの に なれなれ ば、 ゴール が 達成 さ れる、 という こと に なる わけ です。


では、この未来の記憶を定着させるのはどうすべきか?


ルー・タイス・プリンシプル では、 ワーズ、 ピクチャー、 エモーション の 相互作用 を 重視 し ます。   〜 自分 の 過去 の 情動 体験 を 語る と、 その 時 の 情動 が まるで 同じ こと を もう 1 度 体験 する かの よう に 呼び覚まさ れ ます。   言葉 は 必ず イメージ を 想起 さ せ、 イメージ は 必ず 情動 を 引っ張り 出す から です。 それ が、 言葉 が 本来 持っ て いる 強 さ です。   言葉 の イメージ 喚起 力 を 利用 する 最も 有効 な 方法 は、 アファメーション です。 自分 で それ を 書い て、 毎日、 読む こと です。 短期 的 な 視点 から 見れ ば、 アファメーション は 望ん で いる 結果 に 直結 し た 行動 を とる ため の ツール と いえ ます。

言葉、イメージ、情動を組み合わせて未来の記憶を作るのです。

さらに次のようにその具体的な内容が言われれいます。

人生 の いろいろ な 方向性 に対して、 まんべんなく ゴール を 設定 する という こと です。


まんべんなくとは以下のような項目を検討することです。

■バランスホイール
  • 家族
  • 健康
  • 先進的な健康
  • 社会性
  • キャリア
  • 老後
  • 結婚
  • 教育
  • コミュニティ・サービス
  • お金
  • 時間
  • 個人的な事柄

これでかなり具体的になりましたね!
未来の記憶を、過去のイメージや情動を駆使して言語化し、毎日語ることで臨場感を高めていくのです!

以上、私が実践するためにポイントだけをまとめました\(^o^)/
みなさんも是非やってみましょう。

人はみな、被投的に始まってしまっている生を歩んでいる。被投的というのは要するに無根拠であり、神秘である。なぜ私が私としてこの色とりどりの世界を経験しているのか、誰も分からない。いや、誰もというか私は私のことしか分からないので、少なくとも私は分からない。でも、普段私(も他の人々も)そんなことは問わずに人間社会を生きている。

改めて考えてみると、私の生とは「いま、ここ」の持続、ウィリアム・ジェイムズ的にいえば「意識の流れ」がわれわれ各個人の生である。

この「意識の流れ」を「よく」したい。ポジティブなものにしたい。

と考えるのは、少し突き詰めて思考したらたどり着く考えではないだろうか。全てを自分の意識に還元するのだ。恋人や家族や友人のためというのも、結局はそれを思っていて最終的に嬉しい私に行き着く。

以下の本では、このように還元された意識内での「よいこと」を「ウェルビーイング」として、それをベースにサービスとか社会設計とか考えていくためにウェルビーイングをどう設計するかというエキサイティングな本である。

ラファエル A. カルヴォ & ドリアン・ピーターズ (著)『ウェルビーイングの設計論-人がよりよく生きるための情報技術』。監修は、渡邊淳司&ドミニク・チェン、翻訳は木村千里 。

ウェルビーイングの設計論-人がよりよく生きるための情報技術
ラファエル A. カルヴォ & ドリアン・ピーターズ
ビー・エヌ・エヌ新社
2017-01-24



アマゾンの頁での内容紹介は以下の通り。
人の「こころ」の領域にまでITが入り込んできた今、人間の潜在能力を高め、
よりいきいきとした状態(=ウェルビーイング)を実現するテクノロジーの設計、
すなわち<ポジティブ・コンピューティング>のアプローチが求められています。
近年注目されている「マインドフルネス」や「レジリエンス」、「フロー」なども
ウェルビーイングを育むための要因ですが、ではこういった心理的な要因とテクノロジーを、
どう掛け合わせることが出来るでしょうか。
本書では、ウェルビーイングに関する様々な分野の最新の研究成果を基に、
この問いを解き明かしていきます。
これからのテクノロジーの在り方や、向き合い方を考えるうえでの基盤となる一冊です。

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人間がよりよく生きるとはどういうことだろうか? 
心という数値化できないものを、情報技術はどうやって扱えばよいのだろうか? 
本書は、このような問いに答えようとする者に対して、示唆に富んだヒントを与えてくれるだろう。
(「監訳者のことば」より)
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大体想定していたことが書かれていたが、様々な具体的な情報や事例が出されておりこの分野について理解がとても深まった。面白かった部分を少し紹介し感想を述べる。本書で言われる「ウェルビーイング」という用語は、「心理的機能が人間として考えうる最適な状態にあることを強調した表現」であり、ポジティブ心理学の世界では広く受け入れられているようだ。ただ、この曖昧な定義をどう捉えるかについて3つのアプローチがある。
  1. 医学的アプローチ:精神機能障害がない状態
  2. 快楽的アプローチ:喜びの感覚の集合として(人生の何%がポジティブな感情で占められているか)
  3. 持続的幸福的アプローチ:人生に意義を見出し、自分の潜在能力を最大限に発揮している状態
の3つが現代のウェルビーイング理論の基盤となっているようだ。そしてここで取り上げられている理論はどれも単なる仮説ではなく、十分な実証的な裏付けがあるという。

少し細かく見ると、「快楽心理学」であればポジティブ感情の体験をもとにウェルビーイングを定義していく。カーネマンの議論も出てくるが、これは主観的ウェルビーイングである。研究方法は、もし幸せだという自覚があるなら、伝えてほしい、というもの。

ライフイベント、人生の満足度、充実度をはじめとする個人の人生に対する認知的評価と感性的評価からなり実際に国民総幸福量子数の開発に利用されているらしい。さらに時間軸の観点でいうと、個人の自己報告は「オンライン=リアルタイム」「想起」「長期間にわたる人生評価」の3つがある。

持続的幸福的アプローチは、エウダイモニア的アプローチとも呼ばれ、自律性、有能感、関係性を軸にした自己決定理論があり、さらに快楽的アプローチと組み合わせてフロー理論でお馴染みのチクセントミハイなどのポジティブ心理学、情動知能、仏教の心理学なども参照されている。

また、最後に生理学的に確認可能なウェルビーイングとして「生物学と神経科学」のアプローチも紹介されている。ここでは個人の感情を理解するために生理学的信号や脳信号を用い、遺伝子や身体の健康状態を調査したり、そうした生物学的システムと環境条件との相互作用を調査している人もいるらしい。脳波記録、筋電図検査、皮膚コンダクタンス、呼吸といった複数の生理システムの信号を使う。神経科学者は脳の電気的活動や科学的活動のパターンを特定しようとしている。

また、第2章ではブータンだけでなくイギリスやフランス、アメリカなども国家発展の尺度の見直しとしてウェルビーイングに取り組んでいることが紹介されている。第4章は、ウェルビーイングの決定因子として、ポジティブ感情、動機づけ&没頭、自己への気付き、マインドフルネス、心理的抵抗力・回復力、感謝、共感、思いやり、利他行動を挙げ、それをどうデザインしていくかという議論は本書の核であり、読み応えがある。また、第8章で紹介されている判断をともなわない注意「マインドフルネス」という概念は詳しく知らなかったので勉強になった。

さて、これを読んだ感想は、とても「心理学的」だということ。本書でいうポジティブコンピューティングの基本的なアプローチ方法はざっくり以下のようなもの。
  1. 主観を内省して、ポジティブだった意識状態を列挙→例えば上述の:ポジティブ感情、動機づけ&没頭、自己への気付き、マインドフルネス、心理的抵抗力・回復力、感謝、共感、思いやり、利他行動
  2. それらがどのように生じたのかを分析
  3. 分析結果を基にどうやってそれらを再現するかを研究
全て「現在の人間の感受性」で考えられている感が否めない。人間中心主義といえる。われわれは「スポーツの練習に没頭している」「家族や恋人と幸せな時間を過ごす」など経験的に学んだポジティブな状態を目指そうとする。というか、それ以外に「よいこと」をする際の指針はない。

しかし、われわれは環境や他の人や生物との相互作用の中で各個人が価値観や世界像を編み上げている。そして経験によりそれらは変わりつつまた新たな経験をするという循環。そこから何が言えるかというと各個人により何が「よいこと」になるかは違うということ。

そして、さらにいうとマルクスが主張したように生産性が向上したり人間関係が変わると下部構造により上部構造であるわれわれの感受性も変わる。例えばベーシックインカムが実現され、人との関係が薄くなっても生きていけるようになれば(極端な話)共感や感謝、思いやりなどはポジティブな状態に関係なくなるかもしれない。そもそもそのような存在の形態になったら、ポジティブな状態が気になっているか分からない。

よくSFで提起される問題だが、今の感受性では環境の変わった未来のわれわれの感受性はどうあがいても分からないのだ。それを予想しようとしている私は既に今の感受性で物事を考えている。だから何がいいたいかというと、こうした「心理学的」なアプローチがたしかに現時点では最も有効なのではないかと思っている、ということ。

哲学者キルケゴールが著書『死に至る病』でいう「絶望」とは何か?

端的に言うと、キルケゴールのいう絶望とは自己が様々なものとの関係性の間でバランスを欠いてしまっている状態。生きているのに死んでいるような感じ。どういうことか。要は人間は物語を持って現実に適応している。でも現実という外界に適応するために抑圧してきた物語もある。

そのような物語は外界に合わせようとすると感情などで反抗してくる。また、物語といっても言葉の束であるので、一貫性を保つのは難しい。大学を卒業してプログラマーやって、アフリカで働いて、歌手目指して、医者目指すみたいなことやっていたら、毎度他者から承認を得え物語を安定させることはできなくて、パニックになるだろう。

ではどうすればいいのか?
誰かが気絶した場合には、水だ、オーデコロンだ、ホフマン適材だ、と叫ばれる。しかし、絶望しかけている人があったら、「可能性を持ってこい、可能性をもってこい、可能性のみが唯一の救いだ」、と叫ぶことが必要なのだ。可能性を与えれば、絶望者は息を吹き返し、彼は生き返るのである。 
これがキルケゴールの答え。

では可能性はどうやって与えられるか?

教育哲学者の苫野一徳は、ルソーを手がかりに「可能性」とは、能力を挙げる、欲望を下げる、そして欲望を変える、の三つの道があるという。しかし、それは本質的ではない。現代の僕らはそもそも欲望がない。何かやりたいことを10個言えと言われてすぐに答えられる人は少ない。

これも物語という契機で考えることができる。われわれは物語を生きている。ただ単に「君はこういう世界を生きている」と言われたり、世界史を読んで「僕はいま、こういう流れにいるのか」と理解してもそれは物語として実存的に根付かない。僕らは日々リアルな世界で環境や他者と触れ合うことで世界像を更新していく。

未来への道筋は過去のリアルな経験の蓄積の延長線上でしか開けてこない。これはハイデガーの歴史性からも分かる。過去の経験がバラバラなら未来へ何も見えてこない。

キルケゴールの答えは「自己は自己自身によって措定するのではなくて、絶対的な他者によって措定される」というもの。実はキルケゴールは敬虔なキリスト教徒であり、絶対的な他者とは「神」だ。神の下でキリスト者として、常に絶望の中にある自己はどうすればよいのか?自己は自己自身によっては安定や均衡に達する事はできず、常に有限性と無限性、可能性と必然性の間でフラフラする。この間のバランスをもたらしてくれるもの、つまり措定setしてくれるものが神ということ。

これは、神を中心にした筋立てで物語(自我)を安定させるという方法である。でもしかし、先に書いた通り本を読んでも納得感はない。過去の蓄積からその筋立てに正当性がないと、未来につながらない。まずは過去を反省的に考える。現代とはどういう時代か考える。どういう欲望を持っているか考える。そしておのずと物語が見えてくる。そこで宗教を手がかりにするのももちろんOKだ。しかし、重要なのはハイデガーも言うとおり、世界からではなく自分に固有なところから物語を作っていくことである。 

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