記述の基体(がらくた)

【ブログ】日々の思ったことを徒然なるままに書いております。【世界観】人は動物のように本能で現実に向き合っているのではなく、言語を通じてのシンボル体系としての世界、その世界の中の私(自我)という物語で現実にしがみついている。【取り組み】(1)意識ファースト!意識がよければ何でもOK。そのためのよりよい社会や世界に向かう。(2)卓越した創作をしたい。そのためにはより多くのゲシュタルト(パターン・観念・概念)を獲得→世界でよく行動し、読書。【価値観】結局は「朋あり遠方より来たる、また楽しからずや」【プロフィール】東京出身のアラサーです。※基本殴り書きで校正しておりませんのであしからず(というよりいい感じで汲み取ってください)著作権についてはオプトアウトに対応させていただいております。何かに共感された方はご連絡ください。 【コメント欄へのフィードバックお待ちしております。個人的な質問、反論、脅迫などはTwitterへお願いします。】

カテゴリ: 人間とは何か

やはり人間の生において、何かに熱中するということほどよい生き方はない。なぜかといえば、それは人間存在の本質が「意味」の連続であり、その「意味」の濃度は、如何に確固とした物語を生きているかに依拠するからだ。

では、どうすれば何かに熱中できるか。それは「やりたいこと」問題にも繋がる。つまり、「やりたいこと」がない、あってもすぐ飽きてしまう、という問題だ。

この問題に対して、『メモの魔力』の著者である前田裕二氏が答えを出しており、私もかなり哲学的に考察した上で同意する。その2つは、

1.徹底した自己分析で、どういうとき辛かったとっか、どういうときに嬉しかったとかを掘ると自分がどういう自動機械か分かる。なんで大学受験が辛かったのか、努力が報われなかったのか、周りが馬鹿にしたからか、など掘り下げる。周りが褒めてくれるのが嬉しかった、等。

2.とにかくいろいろな体験をする。出会ったことないものを好きだということはない。クリケットはやったことないから好きだと思わない。とにかく何も考えずにいろいろなものに出会え。

また、幻冬舎の箕輪氏はこれにさらに以下を付け加えている。

3.ちょっとおもしろいと思ったことは思い切ってやれ。死に物狂いでやらないとだめなんだ。つまらなくなる。

私はこれにさらに2つ付け加えたい。

4.若干2と被るが、ロールモデルを探せ!ということ。これは実際探してみつかるものではないが、すごい!と心から身震いするほど尊敬するような人間に感染すると論理などすっとばしてモチベーションが湧いてくる。

5.これは「やりたいこと」探しで迷っている人に多い傾向かもしれないが、あまり別次元のことを期待しないということ。つまり、これからの生は「これまで生きてきた経験の延長線上」ということだ。これまでに例えば種別1から10のタイプの楽しみを経験したことがあれば、これからはそのそれぞれのタイプでの程度の高い楽しみは期待してよいが、タイプ11や12など新たなものがあるとは限らない。この問題は年を取れば取るほどなくなると思うが、いつまでたってもなくならない可能性もある。

以上、みなさん、まだやりたいことを探している場合はこれらをお試しください。

立花隆『エコロジー的思考のすすめ』には人間社会において決定的に重要な価値体系について本質的な説明がある。まずは引用する。206ページから。




複雑な人間の順位制
人間社会の順位制は、動物社会の中ではいちばん複雑な仕組みになっている。
人間は自意識過剰の動物で、いずれ劣らぬ肥大した自尊心をかかえている。したがっ
て、集団の秩序を維持するために最も有効な方法は、その自尊心を厳密な順位づけの下
に圧しつぶしていまうことではなく、複雑怪奇であいまいな順位制の中で、なるべく多くの自尊心を満足させてやることなのである。
動物はすべて腕力一本で順位づけをしてしまうが、人間は順位づけの種目をやたらと多くする。個人の意識の中では、しばしばその種目は非公認のものにまで拡大され、その結果、どんな人がどんな人と自分を比べても、この点にかけては自分が上だという種目を持つことができるようになっている。
種目が多すぎるので、こんどはその種目の順序づけが問題になってくる。財力と知力ではどちらが上位か、感情の豊かさと統率力ではどうか、着るもののセンスと味覚のセンスではどうか、といった具合いである。種目間の順序づけが、それぞれの人の価値体系を作る。人びとの間で、価値体系に関して常に議論が割れるのも当然である。
ともかく、こうして人びとはそれぞれ別の価値体系の中で、勝手な順序づけを楽しみ、それに加えて、適当ななわばりを自分の周囲に作って、自尊心を満足させて平和な暮しを楽しむことができるわけである。
人間社会における順位制で、かなり普遍性のある種目は、所属組織における権力順位と、収入の高による財力順位である。この二種目で下位になったものは、自尊心を満足できず、コンプレックスを持ちやすい。
コンプレックスをのがれる手段は二つしかない。 一つは死にもの狂いで、その順位戦に勝って上位にのぼること。もう一つは、この二種目が下位になるような価値体系を独自に(あるいは仲間と共同で)作ってそれを信奉し、二種目にこだわる人をバカにすることである。どちらかといえば、後者のほうが楽でいいだろう。

簡単に要約するとこうだ。

  1. 人間社会は、誰もが持つ強力な自らの自尊心を満たすため、複雑な順位制を持っている。どんんな人でも「ある種目においてはおれが一番だ」と思えるようになっている。
  2. しかし、その種目の順序づけが重要になる。種目間の順序づけが、それぞれの人の価値観といえる。人びとの間で、価値観=体系に関して常に議論が割れる。
  3. 人間社会における価値体系の順位づけで支配的なのは、権力と財力。この二種目で下位になったものは、自尊心を満足できず、コンプレックスを持ちやすい。
  4. それを克服するには手段は二つしかない。 一つは死にもの狂いで、その順位戦に勝って上位にのぼること。もう一つは、この二種目が下位になるような価値体系を独自に作ってそれを信奉し、二種目にこだわる人をバカにすること。 
私はやはりこの中でも「お金」つまり財力が最も普遍に重要だとみなされる種目だと思う。それは数字という一義的で誰でも分かる指標があるからだ。これによって多くの人がコンプレックスを持つことになる。本心では自分のやっていることがもっとも価値があると思っていても(例えば、昆虫研究など)それが誰もが納得しやすい財力という種目のゲームではぜんぜん上へいけない。それでもそうした自分の道を進めるほどなにかに熱中できる人はいいが、普通はそうはいかない。

その難題は未だ解決されていない。

ICOなどに代表されるブロックチェーンにはこれを解決できる可能性がある、と私は思う。

いろいろな価値体系の経済圏を作ればいい。今、「お金」は、ドル、円、人民元、ユーロなどいろいろな通貨があるにせよ、グローバルで一義的な価値基準だ。とってもとーっても強力な価値基準。ドルの経済圏も円の経済圏も、たしかに価値体系は異なるが、現代のように簡単にいくらでも両替できる社会ではそれは一つの「お金」という価値体系としてまとめられる。

ICOなどトークンで、いろいろな価値体系の経済圏ができれば、全部を包括するような価値体系はなく、いろいろな価値体系が共存し、さらにいくつかの経済圏にまたがって生きることで誰もが自尊心を満足させることができる。

第二言語習得の分野でi +1理論というのがある。自分が7−8割くらい理解できるくらいのインプットをすることで語学力がUPするということ。というか、むしろこれでしかUPしないという理論。

私はこれを概ね信じているが、よく考えるとあらゆる体験や経験においても示唆のある理論だ。

語学で一番楽しいのはたしかにこの状況である。私の経験からしても。
これは経験一般に敷衍できるだろう。

ドワンゴの川上さんがコンテンツは「わかりそうでわからない」のが一番いいといっていた。
また、プロ奢られいやーさんも既知 8 未知2が一番おもしろいと言っている。

そう考えると、われわれ個人個人の経験やもって生まれたもの、それにより作られた今の価値観などはもちろん各々異なっている。

では、本当に面白い経験とは何かといえば、それはカスタマイズしなくてはいけない。

コーチングとは、その人を理解し、i+1を設計してあげる人なのであり、それはダイエットや語学など具体的な目標のためにだけ使うべきものではなく、むしろ善く生きるために必要なものだと思った。

ビジネス界において、リクルートの藤原和博さんの「レアカードにならないと稼げない」という話をしらない人は少ないだろう。以下の動画で見れるし、こちらで講演の全文も読める。



藤原さんによると、100万人に1人の希少性のある人材になれば、大体年収1000万から1億円ぐらいは絶対いくという。そして一つの分野で100万人に1人になるのはオリンピックに出るようなもので非常に過酷な競争であるが、まずは100人に1人を目指し、3つの領域でそれを実現すれば100の3乗で100万人に1人の逸材になるという。

一つの分野で100人で1番になるには、大体1万時間かかるという。これは長いか?短いか?1日3時間やる、365日やったら1000時間。そしたら10年。1日6時間ずつ取り組んだら5年なのだ。

藤原さんの場合、20代で営業とプレゼンで100人に1人になり、
27歳から37歳までマネジメントをやってさらに、100分の1、
そして、
第3の分野として、
「リクルート流の営業プレゼンとリクルート流のマネジメントをまったくリクルート流じゃないところ、ノンプロフィットの世界で試したらどうなるかっていうことに賭けた」
という。

ここで藤原さんの和田中学での実績は述べないが、この第3領域でも成功し、100万人に1人の人材になった。

今日は、この考え方が金を稼ぐというよりも、もっと広く生を充実するためにも非常に重要であることを主張したい。生が充実するとは、ようするに、幸せにいきる、ということとほぼ同じ。ただ、人間の意識状態は常に幸せになることはできないので、全体として「よい」といえるような生を、充実した生を自分は呼んでいる。

なぜ生の充実に、この3つの領域の掛け算が必要なのか。

それは、現代において、「俺がやらなきゃ誰がやる」というような機会がほとんど存在しないという問題がある。現代は自由の時代だ、みんな人に迷惑をかけなければ何をしてもいい。どんな生き方をしてもいいのだ。しかし、その物語が他者に承認されていなければだめで、その承認も、お金を稼げるというくらいまで一般化されなければ物理的にもサバイブできないのだ。

現代は、自由過ぎて、いろいろな生き方がある。情報に敏感な人ほど新たな機会に目を奪われ自分の生き方にコミットできなくなる。

私はけっこう幅広く、ベンチャー界隈の経営者や従業員、いわゆるエリート大企業、中堅の企業、中小企業、マイルドヤンキー、学生など交流しているつもりだが、ある程度「情報が入ってくる人たち」は、自らの進路に疑問を持つ可能性が高い。情報が入ってくるとは、同年代の他者などの自分とは違った生き方についての情報。それが一次的な情報であればあるほど大きい。エリートサラリーパーソンやベンチャー界隈の人は人と会うことが多いのでそういう傾向にある人が多い。逆にマイルドヤンキーやニートなどは、ある種情報が限られており、自分から新しい環境へも行こうとしないので、今の世界への臨場感が強い。要は世界観が凝り固まっており善悪の基準が明確。あとはその世界で頑張るか否かだけが問題となる。

自分の経験について述べる。

自分が今まで生きてきて幼い頃から変わってないエートス(行動規範、心の習慣)は、自分がやらなくても誰かがやると思えることは、やる気にならない、ということ。同時に、誰でもあると思うが、何か世の中を良くしたいとか、あっと言わせたいという欲望もある。現代においては、誰しもがこの2つのベクトルの間で揺れ動いているのではないか。ある程度、こうすればこうなるという場所で働かないと金を稼げない。一方で誰でもできるならなんか自分としては身が入らない、というのは近代以降の根本的な問題であろう。

そこで、
3つの領域の掛け算の経験が重要となる。これだけ経験を積むことで、初めて「俺がやらなきゃ誰がやる」という何かへの情熱が生まれるのであるから。現代において様々な情報の中でなにかにコミットするのは難しい。だから実体験で自らの経験を積み、その中で確固とした方向性を強めていくのがよい。もちろん、人間生きていれば誰しも何かしらの経験を積むので、30くらいになったら大体方向性を見出すかもしれない。でもそれがあまりにも現代資本主義社会のルールと異なることであればサバイブ自体も難しくなる。それゆえ、藤原さんのいうような戦略はよいし、今述べたように実存的な観点でも重要だ。

人は物語が安定していないと生が充実しない。安定しない。われわれはあらゆるものを自分の物語に沿って認識する。外部情報だけでなく内的な情報もだ。毎度異なる物語を拵えていては認識がばらばらとなり生は充実しない。まずは物語を安定させて、初めてわれわれは山登りを始められる。現代においては山登りすらまだ始めておらずふらふらとさまよっている人も多い。

正直、藤原さんのいう100人の1人というためのスキルの定義の明確度とそのレベルをどう測るかはなかなか難しい。自分は32だが100人の1人のスキルを何か持っているだろうか。それを労働市場的な観点から見ると判断が難しいが、費やした時間からすればインターネットビジネス✕哲学✕中国にはそれなりに時間をかけてきた。まだまだ専門性を持っているとはいえないので、この分野で自己の物語を確立していきたいと思っている。

ツイッターで話題になっていたので、佐渡島 庸平さんの『WE ARE LONELY, BUT NOT ALONE. 〜現代の孤独と持続可能な経済圏としてのコミュニティ〜』 (NewsPicks Book) を拝読した。

著者のプロフィールはこちら。
佐渡島庸平 さどしまようへい
1979年生まれ。東京大学文学部を卒業後、2002年に講談社に入社。週刊モーニング編集部にて、『バガボンド』(井上雄彦)、『ドラゴン桜』(三田紀房)、『働きマン』(安野モヨコ)、『宇宙兄弟』(小山宙哉)、『モダンタイムス』(伊坂幸太郎)、『16歳の教科書』などの編集を担当する。2012年に講談社を退社し、クリエイターのエージェント会社、コルクを創業。著名作家陣とエージェント契約を結び、作品編集、著作権管理、ファンコミュニティ形成・運営などを行う。現在、漫画作品では『オチビサン』『鼻下長紳士回顧録』(安野モヨコ)、『宇宙兄弟』(小山宙哉)『ドラゴン桜2』(三田紀房)等の編集に携わっている。従来の出版流通の形の先にあるインターネット時代のエンターテイメントのモデル構築を目指している。
http://qreators.jp/qreator/sadoshimayouhei



NewsPicks Bookで、他の落合陽一さん、メタップスの佐藤さん、コンサルタントの波頭さんの本が分かりやすく面白かったのでこちらも購入してみた。結果的に、個人としては本書が1番おもしろかった。その理由はおそらく、実存的な視点が重視されているからだと思う。今挙げた他の本は社会的でマクロな視点で書かれているので、自分の生にとっての「意味」という実存的な観点がない。

本書はその点で、自分はどう生きるべきか、というような誰もがもつ喫緊の課題が軸にあるように思えた。それは、

僕自身が幸せになるために、安心と自由の両方が確保されたコミュニティが必要なのだ。67


と言われているように、僕らの生にとっても最も重要な「自らの幸せ」を起点にしており、さらにそれは「安心と自由が確保されたコミュニティに属することで得られる」ということが著者の人間観の前提にある。

こうして本書は、

「自ら参加する、趣味を軸にしたコミュニティを持ったら、人はどのようになるだろう?」4

と、その「安心と自由が確保されたコミュニティ」の可能性を問う。

昔は村社会で社会が個人を包摂していたので安心であったが、自由がなかった。今は自由になったが社会の包摂がなく安心が得られない。

僕は本書の主題であるどうやって「幸せになるために安心と自由が確保されたコミュニティ」を作るか、よりも「どういうときに人は幸せになるか」という人間観のほうに関心があるので、本書の大半、つまりそのようなコミュニティの作り方(特に後半はこの前者の話題が中心であるが)は個人的にはあまり興味を持たなかった。

自由で安心なコミュニティに属することが幸せであることが前提にあると、次のことが言える。

「何を手に入れているか」よりも「何をやっている人か」「なぜやっているか」という理由のほうが重要になってきたのだ 33

つまり一般的な既存の仕事(高給取りのサラリーパーソンや金儲け目的でいろんなことをする中小企業の経営者など)をしていくら高級な嗜好品や資産を持っていても大して承認を得ることはできない。むしろ本当にやりたいことでもないくせに社会に合わせている痛い奴、と徐々にみんなは気づき始めている。既存のやり方であれば安心は得られるが、自由は得られない。

モノがなかった時代は、「何を持っているかの表明」が、その人を表した。モノが溢れ、すべての価値観が許容されていく中で、「個人の価値基準そのもの」に、アイデンティティが宿る時代がやってきたのだ。

これからは、物質の所有やヒエラルキー付き組織への所属ではなく自分は何を欲しいのか、何をいいと思うのか、それをわかりやすく表明している個人への注目が集まっていく。SNSでフォロワーを多く集めているのは、どんな価値観で生きてるかがわかりやすく、ブレない人だ。34

なぜか?なぜブレない価値観を提示できる人が人気を持つのか。

人間の欲望とは言葉で割り切ることはできない。それを何かしらの行為で発散することには原理的な矛盾がある。しかし、それは程度の問題でもある。ある欲望が社会に既にある何か(例えば、マッサージのサービスとか、ライブを観に行く活動とか)で満たされるとは限らない。既存のサービスは既に一般化(多数の人に受け入れられるように)されているので、一回性の生を生きる個人にドンピシャで合うことはない。

しかし、かといって人はその欲望を言葉にしたり、何か行為で解消することができるわけではない。

だから、

大多数の人は自分の欲望を型にはめてしか理解していないともいえる。自分の欲望の形を正しく理解している人はAmazonのように効率的なほうがいい。しかし、もしも、自分が何をしたいかを理解していなければ、コミュニケーションの中で、それを発見する仕組みのほうがいい。91

つまりありきたりの物語(ロールモデル)を追いかけている人にとっては、明確なサービスが求められるが、そうした既存の物語はしっくりこない人は、しっくりくるものを文脈の中で一回性の経験の中で見つけたいのだ。それゆえ、こうしたコミュニケーションの場を提供することが価値を帯びる。最近、カウンセリングやコーチングというような対話型のサービスが増えているのもこのためだろう。

それゆえ、今後求められるもの、別の角度からいうと、やれば人気を博することができるのは自分の欲望をどうにかして言葉にしたり、或いは形にできる人だ。

しかし、1番の価値は欲望を喚起できることだ。僕らはもはや何かを欲しいという欲望をなかなか自発的に持つことができない。コミュニティの中のコミュニケーションによって、欲望がゆるやかに喚起される。そして、非論理的なものが欲しくなる。もはや、僕達は、役立つものだけで心を満たすことができない。139

僕らはもう既存の商品やサービスでは満足できない。そこからこぼれ落ちるものを実現していくことに価値を感じる。そしてそれを実現する方法は2つ。一つは、そういう欲望を形にしている人を追いかける。もう一つは自分が頑張ってそういう言葉にできないものを形にする。

どちらにせよそれは多数の人間がそれらを吟味しあうコミュニティが必要である。安心で自由なコミュニティの中で人は幸せになれるが、そうしたコミュニティを作るには、既存のサービスやコミュニティでは満たされないものを形にして表現し仲間を集めるか、既存のものよりは自分の欲望を体現している人のコミュニティに入っていくか、この2つの道がある。

こうやって読むと、本書は実存的な視点で自分がどう生きるべきか、一つの指針を与えてくれる。

みなさん、ゴール設定しましょう。でっかり夢にコミットしよう。そうすれば日々のいろんなことが些細なことに見えてきて惑わされずにいきいきと大きなゴールに向かっていけます。

ここでは未来の記憶を作り、ゴールに臨場感を持つ方法を苫米地さんの本から紹介します。



この本は私が苫米地さんの本を10冊程度読んだ中では一番体系的にコーチングについて述べられています。

未来 の 記憶 とは 何 かと 言え ば、 ゴール の 世界 の 記憶 です。   そこで、 ゴール を 達成 し た セルフ・イメージ の 記憶 を、 自分 の 過去 の 記憶 を 合成 し て つくり ます。 そう する と、 リアリティー が 増し ます。 もちろん、 少なくとも 物理的 な リアリティー と 同じ ところ までは、 リアリティー が 出 て くる こと に なる の です。   後 は、 それ を 何度 も 繰り返し、 同時に 高い セルフ・エスティーム を 築い て いく こと によって、 未来 の 記憶 の 方 が 目 の 前 の 現在 の 記憶 よりもより 臨場感 の 強い もの に なれなれ ば、 ゴール が 達成 さ れる、 という こと に なる わけ です。


では、この未来の記憶を定着させるのはどうすべきか?


ルー・タイス・プリンシプル では、 ワーズ、 ピクチャー、 エモーション の 相互作用 を 重視 し ます。   〜 自分 の 過去 の 情動 体験 を 語る と、 その 時 の 情動 が まるで 同じ こと を もう 1 度 体験 する かの よう に 呼び覚まさ れ ます。   言葉 は 必ず イメージ を 想起 さ せ、 イメージ は 必ず 情動 を 引っ張り 出す から です。 それ が、 言葉 が 本来 持っ て いる 強 さ です。   言葉 の イメージ 喚起 力 を 利用 する 最も 有効 な 方法 は、 アファメーション です。 自分 で それ を 書い て、 毎日、 読む こと です。 短期 的 な 視点 から 見れ ば、 アファメーション は 望ん で いる 結果 に 直結 し た 行動 を とる ため の ツール と いえ ます。

言葉、イメージ、情動を組み合わせて未来の記憶を作るのです。

さらに次のようにその具体的な内容が言われれいます。

人生 の いろいろ な 方向性 に対して、 まんべんなく ゴール を 設定 する という こと です。


まんべんなくとは以下のような項目を検討することです。

■バランスホイール
  • 家族
  • 健康
  • 先進的な健康
  • 社会性
  • キャリア
  • 老後
  • 結婚
  • 教育
  • コミュニティ・サービス
  • お金
  • 時間
  • 個人的な事柄

これでかなり具体的になりましたね!
未来の記憶を、過去のイメージや情動を駆使して言語化し、毎日語ることで臨場感を高めていくのです!

以上、私が実践するためにポイントだけをまとめました\(^o^)/
みなさんも是非やってみましょう。

個性は価値だと思う。

いくらニートで引きこもっていようが、いくら教育水準が低かろうが、いくら教養がなく一日中エロいことしかしてなくたって、いくら社会的善を追い求めようが、いくら自己の快楽にひた走ろうが、それはその人だけの個性である。いくら、同じマンションの隣で生まれ育っても、もしくは双子で同じ家で生まれ育ってもどんな似たような体験をしても、同じ経験をすることなどありえないから、個人は個性だ。

今のところ、個性というと、自分をうまく表現したり、人の意見に流されず自分の考えを押し通したりするようなときに「個性」というが、僕はそう思わない。みんなに個性がある。というか個性があるから個人が成り立つと言える。

いま世間でいう「個性」とは、社会を変えるとか、アート性を持つみたいな努力前提がある。そうではなく、個性とは、誰もがもつ性質なのである。

そうした個性を価値とみなせる社会が本当にいい。

アーレントが言っている活動とはこういう個性を表現しあい価値化していく活動だ。自分を試行錯誤し表現し、認められれば価値となる。現代と違うのは、大きな流れとして個性が定義されるのではなく、表現を通じて、みんなが違う中で、それでも共感を得るものが価値なのである。

こういう個性を価値化することは実存的に追い求めるものだから、これを社会的に実現したい。

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