記述の基体(がらくた)

※基本自分の備忘のために書いています。殴り書きで校正しておりませんのであしからず(というよりいい感じで汲み取ってください)著作権についてはオプトアウトに対応させていただいております。何かに共感された方はご連絡ください。

2019/11

意識の流れを最もポジティブにするにはどうすればいいか?

まず、前提としてわれわれは空間時間的な意識体験を、時間の経過とともに体験する。これを意識の流れと呼ぶ。

自分の生き方にしろ、社会を作る上での理念にしても、最も突き詰めた根拠となるべきはこの「意識の流れ」だ。こういう表現をすることで、一般的に議論の出発点となる最高価値「幸福」よりももっと広いところに目を向けることができる。

われわれの意識の流れは欲望を中心に動く。

そしてその欲望はどういう原理で動くか?

人間は、生まれてから言語の世界に入っていく。一定の刺激を受けると、パターン認識が積み重なり世界内存在となる。そのときに最初の自分の言語的な認識の世界、つまり物語ができる。そのときの物語とは、母親がなんでも満たしてくれる全知全能である。どんな人間も基本的にこの全知全能の物語が最初になる。

その後、さまざまな共同体の成員となり、いろいろな物語を他者からの理解をかぶされ、上書きされていく。しかし、やはり根本は全知全能なのであらゆる問題がすぐに解決されることを望む。

今後もし、AIなど技術の進歩により人間が働く必要がなくなり、自分の好きな情報だけ見て生きられるようになれば、欲望はどんどん消えていくだろう。

いろいろな背景の異なる人間と会うことで、これまでの物語との整合が必要になり、また乱れていく。

多様性はなくなり一つの価値観にまとまるのか?

そうはならないだろう。生物的には、多様性が保たれていた方が外部環境の変化に強いからだ。

では、どうすればいいかというと、意味の溢れる意識状態を作ればいい。

これについては以前もかいた。

われわれの意識体験におけるあらゆる認識は、物語相関的である。

テーブルの上にコップがあるとする。

喉が渇いている人にとって、これは「喉を潤すもの」だ。一方で、激しく喧嘩している男にとっては、「相手に投げつける固いもの」である。各自の物語に相関して対象が認識されるのであり、世界には、こうした各自の物語を離れた「客観的」なるコップは存在しない。

いわゆる「客観的」と言われるものは、そのような物語相関の認識において大多数の人が共通の意味として認識する意味である。例えば、コップであればたとえ違う物語を生きる人々にとっても、大多数の人にとっては「飲料を飲むもの」だ。

さて、資本主義社会において、多くの人が日々ビジネスチャンスを狙い、そこには裁定が働き簡単に儲かるようなチャンスはない。なぜなら、多くの人が同じような物語で世界や社会を眺めているからだ。同じような、というのは大体同じような時間軸で同じような世界の範囲をベースに考えているということだ。

例えば、スタバの日本進出の際、多くの人はスタバの事業を「おいしいコーヒーを提供する場所」と考えるだろう。だから、直営店方式で展開したそのやり方に疑問を感じ、一般的なカフェチェーンは手っ取り早いチェーン展開をする。

しかし、スタバは自分たちの提供しているものを「サードプレイス」、つまり家でもオフィスでもないゆっくりできる場所の提供という物語を持っていた。だから果敢に、店内の世界観を保つために直営店というリスクを伴うやり方を取ったのだ。

時間軸を変える、範囲を広げる、提供しているサービスの価値を自分で定義するなど、普通の人と違った物語で世界を見ると、実はビジネスチャンスに溢れている。あとは、それを少数の仲間にシェアをして実行すればよい。

やはり人間の生において、何かに熱中するということほどよい生き方はない。なぜかといえば、それは人間存在の本質が「意味」の連続であり、その「意味」の濃度は、如何に確固とした物語を生きているかに依拠するからだ。

では、どうすれば何かに熱中できるか。それは「やりたいこと」問題にも繋がる。つまり、「やりたいこと」がない、あってもすぐ飽きてしまう、という問題だ。

この問題に対して、『メモの魔力』の著者である前田裕二氏が答えを出しており、私もかなり哲学的に考察した上で同意する。その2つは、

1.徹底した自己分析で、どういうとき辛かったとっか、どういうときに嬉しかったとかを掘ると自分がどういう自動機械か分かる。なんで大学受験が辛かったのか、努力が報われなかったのか、周りが馬鹿にしたからか、など掘り下げる。周りが褒めてくれるのが嬉しかった、等。

2.とにかくいろいろな体験をする。出会ったことないものを好きだということはない。クリケットはやったことないから好きだと思わない。とにかく何も考えずにいろいろなものに出会え。

また、幻冬舎の箕輪氏はこれにさらに以下を付け加えている。

3.ちょっとおもしろいと思ったことは思い切ってやれ。死に物狂いでやらないとだめなんだ。つまらなくなる。

私はこれにさらに2つ付け加えたい。

4.若干2と被るが、ロールモデルを探せ!ということ。これは実際探してみつかるものではないが、すごい!と心から身震いするほど尊敬するような人間に感染すると論理などすっとばしてモチベーションが湧いてくる。

5.これは「やりたいこと」探しで迷っている人に多い傾向かもしれないが、あまり別次元のことを期待しないということ。つまり、これからの生は「これまで生きてきた経験の延長線上」ということだ。これまでに例えば種別1から10のタイプの楽しみを経験したことがあれば、これからはそのそれぞれのタイプでの程度の高い楽しみは期待してよいが、タイプ11や12など新たなものがあるとは限らない。この問題は年を取れば取るほどなくなると思うが、いつまでたってもなくならない可能性もある。

以上、みなさん、まだやりたいことを探している場合はこれらをお試しください。

「幸福」「正義」「愛」「善」など社会を作るためは、これらの理念について共通了解が必要だ。しかし、現代においては情報化社会やコミュニケーション手段の発達、さらに移動の簡略化により価値観が多様し、共通了解を築くのが難しくなっている。方法論から言えば、たしかに現象学的な方法で共通了解を見出す可能性はある。決められたルールにしたがい哲学のテーブルにつかせて、自分の主張を確信として、その確信成立の構造を取り出すというもの。しかし、実際問題、そのテーブルにみんなを、或いは必要な参加者をつかせるのが難しい。このゲームをスタートさせることができないのだ。むしろそこにみんな既に苦心しているのだ。論理的にはわかっている。このほうほうがいいのは科学の時代からわかっている。しかし、どうやったらみんなをテーブルにつかせることができるか。



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