記述の基体(がらくた)

【ブログ】日々の思ったことを徒然なるままに書いております。【世界観】人は動物のように本能で現実に向き合っているのではなく、言語を通じてのシンボル体系としての世界、その世界の中の私(自我)という物語で現実にしがみついている。【取り組み】(1)意識ファースト!意識がよければ何でもOK。そのためのよりよい社会や世界に向かう。(2)卓越した創作をしたい。そのためにはより多くのゲシュタルト(パターン・観念・概念)を獲得→世界でよく行動し、読書。【価値観】結局は「朋あり遠方より来たる、また楽しからずや」【プロフィール】東京出身のアラサーです。※基本殴り書きで校正しておりませんのであしからず(というよりいい感じで汲み取ってください)著作権についてはオプトアウトに対応させていただいております。何かに共感された方はご連絡ください。 【コメント欄へのフィードバックお待ちしております。個人的な質問、反論、脅迫などはTwitterへお願いします。】

2019/10

33歳時点での人生哲学をまとめよう。人間、生きているうちのできるだけ早くに自分の考え方の軸を持ちたいものだ。いろいろな経験をする中で、ぶれないで安定して生きていきたいからだ。また、複雑で激動の時代、後ろの世代への助言としても少しでも貢献できればと思う。

私の場合、「生の見取り図」というキーワードで語っていきたい。つまり、私の問題意識は、「いま、ここ」というわれわれの存在の構造を把握したい、ということ。

「意識の流れ」「人間存在」ともいえるので、この現在進行中のこれを指す言葉の選択は難しいが、一般的な主観的な生ということで、「生」としよう。つまり、人間は、世界が素粒子で成り立ち、ビッグバンから始まったというような客観的な知識は二の次で、日々泣き笑い、怒り、喜び、悲しむという主観的な生をいきている。

この生はどのような構造を持っているのか。

ここでは、人生の「意味」問題の解決もなされる。人生に意味はあるのかと悩んでいる、或いは、そう考えてしまうと何かに真面目に取り組む気がなくなってしまう。そういう人たちへの処方箋でもある。

誰もが多かれ少なかれかれ行き当たるだろう「人生の意味問題」であるが、次のような人は3パターンの人間は、人生の意味問題に惑わされることはない。
  1. 衣食住が安定していない人→衣食住ゲームに熱中せざるを得ない
  2. 生活水準を高めるゲームに熱中している人
  3. 人間としての物語的なゲームに疑問を持たず熱中できる人
逆にいうと、この3つになれば人生の意味問題はない。

これについては、以前詳しくこのブログでまとめたことがあるので、結論だけ書きたい。

人生の意味は何か?という質問に対して、それは「〜のため」のように答えることはできない。宗教はそのように答えることができるが、それでは根本的な問題は残されたままだ。

もっと論理的に、合理的に考えてみると、そもそも「意味」の連続が生である、という結論になる。これはハイデガーという哲学者が自分の意識状態の構造を徹底して分析して取り出したものだ。われわれは何かを「意味」としてしか理解できない。眼の前のコップは、スタパの机の上にある私がいつでも手を伸ばせばとれるコップであり、なんの文脈もない、つまり意味のないコップなどない。

ゲームを遊ぶ
生は意味の連続だということがわかれば、あとはその意味の世界というゲームでどう遊ぶかが問題になる。よい意味の典型である「幸せ」を求めるゲームを楽しむ等。

ゲームのリアリティを高める
しかし、多くの人はゲームにコミットできない。それはゲームに対するリアリティが少ないからだ。いろいろな日々の経験の意味が”薄い”という問題だ。これが現代人の多くの人が陥っている問題だろう。
対策は2つだ。1つは、沢山人とコミュニケーションするとを中心に行動すること。こうすることで、自分が何者かわかってきて物語がはっきりしゲームへのリアリティが増す。もう一つは、自分の過去を分析して、自分がどういう人物か、この世界にいる私とはなんなのかをできる限り言語化する。これでも同じく物語性が強まり、ゲームへのリアリティが高まる。
要は先の1と2はゲームへのリアリティが高いのだ。1はそもそも生物的な生の危険から、ゲームへのリアリティが高まらざるを得ない。

以上、メモ書きチックになってしまったが、基本はこういう感じ。

藤井氏と尾原氏が『アフターデジタル』でまとめているアフターデジタルという企業のコミュニケーションの在り方は、人間関係においても言えるのではないか。


両氏は著書『アフターデジタル』の中で、オフラインがデジタル世界に包含される世界を「アフターデジタル」と呼び、多くの日本人の捉え方が「ビフォアデジタル」であることに警笛を鳴らしながら、世界潮流から見たデジタルトランスフォーメーションの方法論を提示している。
 
日本企業はオフラインを軸にしてオンラインを活用しているが、先進的な世界では考え方のベースがオンラインになっていて(オンラインが“主”)、オフラインは信頼獲得可能な顧客との接点という位置づけ(オフラインが“従”)であること。「顧客接点データを多く持ち、それをエクスペリエンスの良さに還元する」という新たな改善ループをいかに高速で回せるかが、新しい競争原理になっている、とのこと。

これは企業のサービス競争の原理であるが、実は、これあらゆるコミュニケーションの未来の在り方なのではないか?

私はかねてから、同じ人間と毎日いっしょに住む結婚の在り方や仲いいからといって毎日同じ人と会う在り方に疑問があった。しかし、好きな人や関心や志を共にする人と毎日密にコミュニケーションを取ることを人間的であり、いいことだ。問題は、フィジカルで会うとなると、リアルタイムで両者が拘束され、さらにノンバーバルなあらゆる情報が必要となるコミュニケーションは道具的なコミュニケーションにはめんどうなだけだ。いくら仲良しや夫婦、仲間であっても、実際問題日々のコミュニケーションの多くは道具的なコミュニケーションであろう。

ここで、「アフターデジタル」的な考え方が応用できる。日々のコミュニケーションはネット上のチャットや場合によっては音声通話、動画チャットで行い、要所だけ、実際に面と向かってコミュニケーションする在り方。日々のネット上のコミュニケーションで相手の状況や、個人の歴史を理解していき、実際に会うときだけそれらの情報をもとに深く、さらに感情的なやり取りをする。こうすることで、多くの人たちと深く実りのある関係を築けるのではないか。これはもちろん、プライベートな人間関係、仕事場における人間関係、あらゆる場面のコミュニケーションについていえることだ。

僕は86世代の日本人だが、ドラゴンボールやワンピースの世界観が脳内に深く浸透している。

これらのアニメを見ていると、多少拡大解釈かもしれないが、自分が進みたい分野を愛し、楽しみ、めちゃくちゃ努力すれば、頂点にいける、というような幻想を抱いてしまう。

さて、話は変わり、世界陸上のマラソンを見てふと思った。

先頭集団、全員アフリカン・アメリカン系やん。

やはり、物理的な身体としての優位性、育った物理的な環境などで、かなり有利なのだろう。

僕は、川内選手が山を走ったりしてハードワークをしていて、さらに日本国内では実績も出しているから世界でも上位にいけると期待していた。しかし、結果は29位。

それでも凄いことなのだが、僕はなぜかここで次のように思った。自分の育ち、身体の特徴、友達、文化、国などから、勝てる見込みのあるところで勝負したほうがいい、と。

冒頭に書いたように、実は僕も痛い人間で、頑張ればスポーツでも、学業でも、仕事でも、どんな分野でも一番になれると思っている。しかし、現実は甘くない。物心がついた段階で、僕らはある状況にいる。その手札の中で戦略的に考えていく必要がある。

もちろん、夢はあきらめちゃいけないが、現実的に考えないと何も始まらない。

そして、さらに重要なことは、手札があって初めてコミットできる夢が現れるのだ。他者とどう違うか、というのが自分の道を開く。

何はさておき、上を向いて前進していこう。

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