記述の基体(がらくた)

※基本自分の備忘のために書いています。殴り書きで校正しておりませんのであしからず(というよりいい感じで汲み取ってください)著作権についてはオプトアウトに対応させていただいております。何かに共感された方はご連絡ください。

2019/09

人により何に対して納得がいくかは違う。

その人は生まれてきてから、周囲の人々や土地の影響を受けて価値観や世界観を編み上げてきた。その過程全てと、その結果としての今の状態を「過去」と呼ぼう。

その人を説得したければ、その人の「過去」に想像を働かせ、「過去」にある程度の想定を持ち、説得する方法を考える必要がある。何をどのくらいどのように説明すれば納得してくれるのか。

また、さらに、その人が今後接するであろうあらゆる情報についても想像を働かせる必要がある。

こちらの主張がその人の「過去」と以後の経験と調和するような内容でなければならない。


これらの言葉って僕は哲学を学ぶまであまりしっくりきていなかった。

クリティカルシンキングは、常識や固定観念にとらわれないで考える、みたいなこと。そして視野を広げるとは、よく留学に行く理由なのでざっくり使われる。広げて何になるの?

これって、まず人間存在についてある程度の見方を想定していないと理解できない。つまり、われわれの意識構造についての想定だ。

僕らは生まれたときは真っ白で、いろいろな五感の体験を通じて、概念(言語)を学び、世界の見方を習慣的に学ぶ。今見ている世界は過去の産物だ。「アメリカ人」という語に何を思うかは、その人が接したアメリカ人に依る。こうした習慣的なものは「社会」といえる。

そして、「社会」の外には、習慣的でない実体として措定される「世界」がある。われわれにとって絶対的な価値を持つのは相対的なものではない絶対の「世界」だ。しかし、それは直接経験できるものではない。

この「世界」の中で「社会」を作り生きているのが人間存在である。これを理解していれば「クリティカルシンキング」と「視野を広げる」の意味も明確になるのではないか。

昔からなのだが、二次的な凄さは本当にどうでもいい。

例えば、facebookが多額の資金調達をしたとか、すごい技術を開発したとか、長期的な凄い展望を持っているとか。

全ては一次的なユーザー体験である。そこが全て。もちろん、そこにそれを提供している会社のイメージが入ることもあるだろうが、やはり中心的なのは「いま、ここ」の体験である。

facebookだったら、みんなの動向や広告の出てきて、インタラクションできるタイムライン。友達とコミュニケーションができるメッセンジャー。これが全て。たしかに、出てきた当初は新しく、その後使い勝手も徐々に進化している。ただ、ユーザーの主観にとっては、友人の近況が見れるというサイトでしかない。もちろん、多くの友人が使っているというのは背後のビジネスが頑張っているからだ。

しかし、この体験と、ビジネス或いは組織として語られるfacebookは次元が違う。体験を創るために背後のからくりがある。背後のからくりがいくらすごくても体験がつまらなければ意味がないし、逆に体験がすごければ背後の仕組みなどどうでもいい。例えば、道端の占い師。背後のビジネスなどない。しかし、ユーザーからすれば、面と向かってリアルな人間から未来や過去について語られる体験は普段とは違う面白さがあるだろう。

体験が全てであり、その背後の仕組みはどうでもいい。もちろん、背後の仕組みが凄ければ凄い体験を作りやすいだろう。しかし、一次的な体験が全て。

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