基本的に現在の社会は同じ志向を共にするアソシエーションの集まりで成り立っている。学校、サークル、会社、組合、友達ネットワーク、あらゆるあなたを規定する所属体はある一定の目的を志向したアソシエーションだ。

このアソシエーションの中でも「明確な目標」のあるものを、プロジェクトと呼びたい。例えば、会社はプロジェクトだ。会社の株主価値を高めるとか、利益を長期的に出すというゲームのルールをみんなで共有して、プロジェクトを進める。これに属する人はみな会社ゲームの一員となり、ある善悪の価値観からなる明記されたルールおよび明文化されていない暗黙のルールにコミットすることになる。そうなれば、その善悪の価値観に基づいて、怒鳴られたり褒められたりするわけである。

しかし、もし、同じ価値観にコミットしていないのに「怒鳴られたり褒められたり」したら、それはナンセンスだ。怒ったり、賛えたりするのは、同じ価値観のフィールドにいることが前提である。弁護士が、マッサージ屋のおばちゃんに対して、法律知識がないことで怒ったりすることが無意味なのは当たり前だ。

今回言いたいことのは、コミットしている善悪の価値観が違う人を「愚痴ったり、けなしたり、怒ったり」することはナンセンスだということ。

善悪の価値観が違うとは、少し具体的にいえばどの共同体に所属しているかということだ。世の中にあふれる沢山の愚痴、批判や中傷、罵倒の多くは言っている本人と「異なる」価値体系に属する人に向けられたものがおおい。そうした言葉は彼らに届かない。じゃあどうすればいいか。直接的な害がないことは「無視」ということしかない。他人の自由を認めるとはそういうことだ。