記述の基体(がらくた)

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2018/08

中国人はなかなか人を信頼しない。だから、日本人のように初対面でも親切にしてくる人がいるとバツが悪そうな表情をする。

これはただただ中国が無秩序だから初対面の人を警戒している、というわけではない、ということに最近気づいた。

よくよく考えると、日本人でも自分の周りの人間がどれほど自分のことを知っていて考えてくれているだろうか。何かアドバイスしてくれる人は、知識を教えてくれる人は沢山いるが、その人はどれほど私のことを考えているか?どれほど責任をとってくれるのか?よくよく考えると、けっこう適当であることが明らかになる。

まずは、いろいろな問答や交流を繰り返しその人との信頼関係を築く、築けないのであれば離れる。信頼を気づいて初めてその人の私に対する言動に重みが出てくるのだ。日本に限らないだろうが、〜すべき、〜したほうがいい、〜はだめだ、というような言説のほとんどは自分の主張を通すと利益があるものの戯言にすぎない。

「自由」は古代からずっと人間社会において最重要なキーワードであった。

幸せに生きたい
金を稼ぎたい
質素な生活をしたい
派手に生きたい

人は各自それぞれ好きなように生きたいのだ。

つまり、一番重要なことは「自分の好きなように生きる」という「自由」なのだ。

それは、「幸福」や「善」などの重要概念よりも最も原理的な価値だ。

この「自由」を軸に社会は築かれるべきだ。

相手の自由を尊重した上で自分も自由に生きる。

実は、日本やその他の先進国では自由を掲げているものの、他者への干渉が多い。自由が最重要であれば、頬って置いていいようなことにまで口出し手出しすることがある。

逆に「自由」後進国のようにみえる中国では、誰もが「自由」を相互承認している。相手がやりたいことは自分に直接的に害がなければ認める。口出ししない。

これは徹底している。どんなレベルの人でも。

日本人のように口では自由を言うのとは異なり、自由の相互承認の感覚がエートスとして身についているのだ。これはすごいことだと思う。

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