記述の基体(がらくた)

【ブログ】日々の思ったことを徒然なるままに書いております。【世界観】人は動物のように本能で現実に向き合っているのではなく、言語を通じてのシンボル体系としての世界、その世界の中の私(自我)という物語で現実にしがみついている。【取り組み】(1)意識ファースト!意識がよければ何でもOK。そのためのよりよい社会や世界に向かう。(2)卓越した創作をしたい。そのためにはより多くのゲシュタルト(パターン・観念・概念)を獲得→世界でよく行動し、読書。【価値観】結局は「朋あり遠方より来たる、また楽しからずや」【プロフィール】東京出身のアラサーです。※基本殴り書きで校正しておりませんのであしからず(というよりいい感じで汲み取ってください)著作権についてはオプトアウトに対応させていただいております。何かに共感された方はご連絡ください。 【コメント欄へのフィードバックお待ちしております。個人的な質問、反論、脅迫などはTwitterへお願いします。】

2018/07

われわれが意図的に行うことは全て「行為」であり、それは言語的な世界を土台に行われるので「言語行為」といえる。逆に意図を伴わないものは「行動」といえる。

われわれは自分の「物語」を持って、生きている。あらゆる認識は、この「物語」に照らし合わせて無自覚的に了解され、さらに自覚的に解釈される。雇われの労働者としての物語で生きていれば、あらゆる仕事がだるいだろうが、将来経営者を目指すために学んでいるという物語で動いていれば、いろいろなことに意義を見いだせる。お金がなくなれば、将来大きなことして回収できるんだから、友達を説得して金を借りたり、投資を受けることも可能だろう。

では、この「物語」はどうやって自分の中に根付いていて、どうやって更新されるのか。それは幼いころ、言語の世界に入ったときの全知全能の物語が軸となり、その後、様々な言語行為と他者との言語行為によって更新され続けている。

仏教に阿頼耶識という考えがある。あらゆる言動はすべて心に刻まれる。ふと思いついてしまった悪巧みや、老人に電車で席を譲ること、人に真摯に接さなかったこと、あらゆることが阿頼耶識というデータベースに刻まれる。これが、物語の大本だ。

自分がどういう物語を生き、その物語により日々どういう実存経験をしたいか、それを考えるべきだ。そしてそのためにはデータベースに何を書き込む必要があるのか。それで今日何すべきかがわかる。

われわれの一挙一動は、このデータベースからなる「物語」を紡ぐ小さい且つ長期的には大きな影響を持つ言語行為なのである。

「それは本質的だ」とか「本質を突いている」とか褒めるためによくこういう発言を耳にするだろう。

では、「本質」って何?「本質」を突いていたら何がいいの?


と、突っ込まれたらどれだけの人が答えられるだろうか。


私は「本質」というキーワードを哲学研究においてかじっていたからこれに答えようと思う。

私なりに答えるなら、本質とは、最終的に個人の主観的な体験(或いは経験)に立ち返って考える、ということだ。

主観とはようするに、情状性を伴った了解、解釈である。本質的に考えると、多くの人にとってある人は騙されていると思われていても、本人の主観で幸せならそれでいい、というような発想も可能。

何か多数の人が議論する場合、その一人ひとりの主観に常に立ち返って考えるということ、これが本質的な思考なのである。

一言でいえば、それは「意識ファースト」といえる。個人個人の「意識状態」を最優先で、議論の出発点として考えることが本質的だといえる。

生きていく上で、昔から何か方向性が定まらなくてもやもやしていたけど、30すぎると徐々に自分のしてきたことにオリジナリティが出て、ある方向性に確信を持てるようになる。

方向性が定まらないのは自分だけの問題かとも思っていたが、これは近代化の必然的な結果であることが理解できた。そしてインターネット時代では情報が溢れ様々な可能性がちらつく。一本の道にコミットするなど不可能に近い。

でも、いろいろ頑張って経験を積んでいけば自分の強みがわかってくる。そして世界や社会においての自分の位置づけも徐々にわかってくる。これは私が特別いろんな経験をしてきたからではないだろう。誰でも時間は平等だ。32歳くらいになればだいたいみんなそうなるんじゃないだろうか。昔、とある大先輩が30くらいはぶらぶらしていればいい。30超えてから何かにコミットすればいい、といってくれたから自分はいろいろなことに取り組んでこれた。みんな若いうちはいろいろ挑戦すればいいと思う。

プロ奢られいやーの人が以下のようなツイートをしていた。

狂っている人間が”狂ったまま”でメシを食っていけるような土壌をつくっていきたい。手段はなんでもいい。すでに腐った人間の「社会に適応しろ」なんて言葉を鵜呑みにしないでくれ。いまいる社会に適応しなくても、別の社会にいけばいいんだから。とにかくそのまま狂い続けてくれ。マジで大丈夫だから。

この人、いつもとてつもなく本質的なことを言っている。

これについて私なりに解説してみる。

この人の直感にはいかのようなことが前提になっているのだろう。

物理法則がこの世界での根本原理だとしよう。物理法則に従っているものは、正しい。つまり、われわれはやりたいことだけやろうとすればするほど、物理法則に従うことになる。やりたくないことをやっているのは、物理法則に逆らっていることになる。 

われわれはみんな自分が生まれ落ちた地の自然環境や社会的環境において自らの「世界」を築いていく。一人一宇宙である。だから、その一人一人の「世界」は他者の「世界」と調和するとは限らないし、おうおうにして違ったものになる。

奢られプロが言っているのは、どこかにいけばその人の「世界」に共感してくれる人がいるはずだ、ということ。なぜなら、本当にそのことが好きでやっているということは、物理法則に従っている証拠だからだ。感情など自分でコントロールできない降ってくるもの。これは世界の原理に沿っている。それを大切にしながら生きていれば、必ず他の「世界」の人も共感してくれる。なぜなら、あらゆる「世界」に共通しているのが物理法則だからだ。

しかし、多くの人が自分のうちでどの部分が物理法則に従ったところなのかを見失っている。

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