記述の基体(がらくた)

※基本自分の備忘のために書いています。殴り書きで校正しておりませんのであしからず(というよりいい感じで汲み取ってください)著作権についてはオプトアウトに対応させていただいております。何かに共感された方はご連絡ください。

2018/05

ツイッターで話題になっていたので、佐渡島 庸平さんの『WE ARE LONELY, BUT NOT ALONE. 〜現代の孤独と持続可能な経済圏としてのコミュニティ〜』 (NewsPicks Book) を拝読した。

著者のプロフィールはこちら。
佐渡島庸平 さどしまようへい
1979年生まれ。東京大学文学部を卒業後、2002年に講談社に入社。週刊モーニング編集部にて、『バガボンド』(井上雄彦)、『ドラゴン桜』(三田紀房)、『働きマン』(安野モヨコ)、『宇宙兄弟』(小山宙哉)、『モダンタイムス』(伊坂幸太郎)、『16歳の教科書』などの編集を担当する。2012年に講談社を退社し、クリエイターのエージェント会社、コルクを創業。著名作家陣とエージェント契約を結び、作品編集、著作権管理、ファンコミュニティ形成・運営などを行う。現在、漫画作品では『オチビサン』『鼻下長紳士回顧録』(安野モヨコ)、『宇宙兄弟』(小山宙哉)『ドラゴン桜2』(三田紀房)等の編集に携わっている。従来の出版流通の形の先にあるインターネット時代のエンターテイメントのモデル構築を目指している。
http://qreators.jp/qreator/sadoshimayouhei



NewsPicks Bookで、他の落合陽一さん、メタップスの佐藤さん、コンサルタントの波頭さんの本が分かりやすく面白かったのでこちらも購入してみた。結果的に、個人としては本書が1番おもしろかった。その理由はおそらく、実存的な視点が重視されているからだと思う。今挙げた他の本は社会的でマクロな視点で書かれているので、自分の生にとっての「意味」という実存的な観点がない。

本書はその点で、自分はどう生きるべきか、というような誰もがもつ喫緊の課題が軸にあるように思えた。それは、

僕自身が幸せになるために、安心と自由の両方が確保されたコミュニティが必要なのだ。67


と言われているように、僕らの生にとっても最も重要な「自らの幸せ」を起点にしており、さらにそれは「安心と自由が確保されたコミュニティに属することで得られる」ということが著者の人間観の前提にある。

こうして本書は、

「自ら参加する、趣味を軸にしたコミュニティを持ったら、人はどのようになるだろう?」4

と、その「安心と自由が確保されたコミュニティ」の可能性を問う。

昔は村社会で社会が個人を包摂していたので安心であったが、自由がなかった。今は自由になったが社会の包摂がなく安心が得られない。

僕は本書の主題であるどうやって「幸せになるために安心と自由が確保されたコミュニティ」を作るか、よりも「どういうときに人は幸せになるか」という人間観のほうに関心があるので、本書の大半、つまりそのようなコミュニティの作り方(特に後半はこの前者の話題が中心であるが)は個人的にはあまり興味を持たなかった。

自由で安心なコミュニティに属することが幸せであることが前提にあると、次のことが言える。

「何を手に入れているか」よりも「何をやっている人か」「なぜやっているか」という理由のほうが重要になってきたのだ 33

つまり一般的な既存の仕事(高給取りのサラリーパーソンや金儲け目的でいろんなことをする中小企業の経営者など)をしていくら高級な嗜好品や資産を持っていても大して承認を得ることはできない。むしろ本当にやりたいことでもないくせに社会に合わせている痛い奴、と徐々にみんなは気づき始めている。既存のやり方であれば安心は得られるが、自由は得られない。

モノがなかった時代は、「何を持っているかの表明」が、その人を表した。モノが溢れ、すべての価値観が許容されていく中で、「個人の価値基準そのもの」に、アイデンティティが宿る時代がやってきたのだ。

これからは、物質の所有やヒエラルキー付き組織への所属ではなく自分は何を欲しいのか、何をいいと思うのか、それをわかりやすく表明している個人への注目が集まっていく。SNSでフォロワーを多く集めているのは、どんな価値観で生きてるかがわかりやすく、ブレない人だ。34

なぜか?なぜブレない価値観を提示できる人が人気を持つのか。

人間の欲望とは言葉で割り切ることはできない。それを何かしらの行為で発散することには原理的な矛盾がある。しかし、それは程度の問題でもある。ある欲望が社会に既にある何か(例えば、マッサージのサービスとか、ライブを観に行く活動とか)で満たされるとは限らない。既存のサービスは既に一般化(多数の人に受け入れられるように)されているので、一回性の生を生きる個人にドンピシャで合うことはない。

しかし、かといって人はその欲望を言葉にしたり、何か行為で解消することができるわけではない。

だから、

大多数の人は自分の欲望を型にはめてしか理解していないともいえる。自分の欲望の形を正しく理解している人はAmazonのように効率的なほうがいい。しかし、もしも、自分が何をしたいかを理解していなければ、コミュニケーションの中で、それを発見する仕組みのほうがいい。91

つまりありきたりの物語(ロールモデル)を追いかけている人にとっては、明確なサービスが求められるが、そうした既存の物語はしっくりこない人は、しっくりくるものを文脈の中で一回性の経験の中で見つけたいのだ。それゆえ、こうしたコミュニケーションの場を提供することが価値を帯びる。最近、カウンセリングやコーチングというような対話型のサービスが増えているのもこのためだろう。

それゆえ、今後求められるもの、別の角度からいうと、やれば人気を博することができるのは自分の欲望をどうにかして言葉にしたり、或いは形にできる人だ。

しかし、1番の価値は欲望を喚起できることだ。僕らはもはや何かを欲しいという欲望をなかなか自発的に持つことができない。コミュニティの中のコミュニケーションによって、欲望がゆるやかに喚起される。そして、非論理的なものが欲しくなる。もはや、僕達は、役立つものだけで心を満たすことができない。139

僕らはもう既存の商品やサービスでは満足できない。そこからこぼれ落ちるものを実現していくことに価値を感じる。そしてそれを実現する方法は2つ。一つは、そういう欲望を形にしている人を追いかける。もう一つは自分が頑張ってそういう言葉にできないものを形にする。

どちらにせよそれは多数の人間がそれらを吟味しあうコミュニティが必要である。安心で自由なコミュニティの中で人は幸せになれるが、そうしたコミュニティを作るには、既存のサービスやコミュニティでは満たされないものを形にして表現し仲間を集めるか、既存のものよりは自分の欲望を体現している人のコミュニティに入っていくか、この2つの道がある。

こうやって読むと、本書は実存的な視点で自分がどう生きるべきか、一つの指針を与えてくれる。

最近、表題の件、そういう感じだ。

昔はメタ的に何ごとも見てかなり仏教徒並の寛容な心が軸にあったが、ここ数年、特に最近は自覚的に脱メタ化している。つまり、物語への臨場感のUPだ。何のことか分からないのであればそれでいい。

要は反社会的な行動、そのようなガチの悪ではなく、日々愚痴を言ったり、或いはろくに仕事もしないでふらついたり、批評ばっかりしているようなやつとかがクソにみえる。もちろん、根は哲学的思考をしているので、彼らがそうなるのが社会的な問題だというのは理解しているが、一人の人間として接するのであれば、そいつらとはむしろ関わりたくない。

ネガティブな行為、行動、想像、言語化するやつとは関わりたくない。

もちろん、役割上そういうことが必要なところは除く。その見極めができないとだめよ。

↑このページのトップヘ