記述の基体(がらくた)

【ブログ】日々の思ったことを徒然なるままに書いております。【世界観】人は動物のように本能で現実に向き合っているのではなく、言語を通じてのシンボル体系としての世界、その世界の中の私(自我)という物語で現実にしがみついている。【取り組み】(1)意識ファースト!意識がよければ何でもOK。そのためのよりよい社会や世界に向かう。(2)卓越した創作をしたい。そのためにはより多くのゲシュタルト(パターン・観念・概念)を獲得→世界でよく行動し、読書。【価値観】結局は「朋あり遠方より来たる、また楽しからずや」【プロフィール】東京出身のアラサーです。※基本殴り書きで校正しておりませんのであしからず(というよりいい感じで汲み取ってください)著作権についてはオプトアウトに対応させていただいております。何かに共感された方はご連絡ください。 【コメント欄へのフィードバックお待ちしております。個人的な質問、反論、脅迫などはTwitterへお願いします。】

2018/02

個性は価値だと思う。

いくらニートで引きこもっていようが、いくら教育水準が低かろうが、いくら教養がなく一日中エロいことしかしてなくたって、いくら社会的善を追い求めようが、いくら自己の快楽にひた走ろうが、それはその人だけの個性である。いくら、同じマンションの隣で生まれ育っても、もしくは双子で同じ家で生まれ育ってもどんな似たような体験をしても、同じ経験をすることなどありえないから、個人は個性だ。

今のところ、個性というと、自分をうまく表現したり、人の意見に流されず自分の考えを押し通したりするようなときに「個性」というが、僕はそう思わない。みんなに個性がある。というか個性があるから個人が成り立つと言える。

いま世間でいう「個性」とは、社会を変えるとか、アート性を持つみたいな努力前提がある。そうではなく、個性とは、誰もがもつ性質なのである。

そうした個性を価値とみなせる社会が本当にいい。

アーレントが言っている活動とはこういう個性を表現しあい価値化していく活動だ。自分を試行錯誤し表現し、認められれば価値となる。現代と違うのは、大きな流れとして個性が定義されるのではなく、表現を通じて、みんなが違う中で、それでも共感を得るものが価値なのである。

こういう個性を価値化することは実存的に追い求めるものだから、これを社会的に実現したい。


今の時代はどういう流れの中にあるか。これまでは幼少期に形成された全知全能の自我を、人間社会で生きる中で、押し殺さなければならなかった。そしてめげずに頑張ったものだけが過去の自我から一貫性をもった安定した自我を築くことができる。今後、われわれの多くが一般的に自我を安定させることができる社会になる。


これは言い方を変えると、これまで人はその人に合わない型か合わないゲームで勝負させてこられた。人と違うことしてていい、何やってってもいいよやる気があれば、という社会になっていく。もちろん、やる気がなくても生きていられるようにしたいけど、やる気があればハッピーでいられるようにするのが先決。


お金で売ると一般的な尺度で判断されることになる。結局、ものを売るには<世界>に置くわけだから、全ての人が対象になる。でもその商品に価値を見出してくれる人に認知されるにはマーケティングコストがかかる。その人に「分かる」形で表現しなくてはいけないし、その人に届けないとだめだからだ。


以上、メモ。

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