人間は生物的な身体を持っている。その身体に基づいた感受性というものがある。言語能力だって、脳という物理的な制約がある。それにより”自然に”理解できる範囲というものがある。現代において、われわれは多くのことを言語を介して理解している。宇宙のこと、地球の裏側のこと、外国のこと、いや隣町のことでさえ、われわれは言語で理解した”つもり”になっている。でもそれは本当の理解ではない。本当の理解とは、そう、例えば家から出て駅まで歩くときのように、目の前に道があり、壁があり、信号があり、避けるべく通行人がいたり、こういうもの。そこに理解したという反省的な感覚はなく、既にそれは前提になっており行動によって前提とされているものである。それを真理と呼ぼう。現代の情報社会において、そのように行動の前提まで深くわれわれに身体化されている情報はどれだけあるのだろうか。最先端の技術を使ったわれわれの生活を安心安全便利快適にしてくれる商品、どれもこれも斬新に見える。それらは勉強すればその理屈は分かるかもしれない。でもそれは、行動に前提されるようなものではありえない。そう、真理ではない。それはわれわれの身体の感受性を超えている。現代において真理に到達するのは難しい。自分が本当に理解できることを軸に生きていけば真理へ辿り着く。