昔からなのだが、二次的な凄さは本当にどうでもいい。

例えば、facebookが多額の資金調達をしたとか、すごい技術を開発したとか、長期的な凄い展望を持っているとか。

全ては一次的なユーザー体験である。そこが全て。もちろん、そこにそれを提供している会社のイメージが入ることもあるだろうが、やはり中心的なのは「いま、ここ」の体験である。

facebookだったら、みんなの動向や広告の出てきて、インタラクションできるタイムライン。友達とコミュニケーションができるメッセンジャー。これが全て。たしかに、出てきた当初は新しく、その後使い勝手も徐々に進化している。ただ、ユーザーの主観にとっては、友人の近況が見れるというサイトでしかない。もちろん、多くの友人が使っているというのは背後のビジネスが頑張っているからだ。

しかし、この体験と、ビジネス或いは組織として語られるfacebookは次元が違う。体験を創るために背後のからくりがある。背後のからくりがいくらすごくても体験がつまらなければ意味がないし、逆に体験がすごければ背後の仕組みなどどうでもいい。例えば、道端の占い師。背後のビジネスなどない。しかし、ユーザーからすれば、面と向かってリアルな人間から未来や過去について語られる体験は普段とは違う面白さがあるだろう。

体験が全てであり、その背後の仕組みはどうでもいい。もちろん、背後の仕組みが凄ければ凄い体験を作りやすいだろう。しかし、一次的な体験が全て。